私の伯父の話です。法事の時くらいしか顔を合わせる機会があまりなかったのですが、大学病院の小児歯科で治療を受けるお孫さんの付き添いの時、私が在籍していた高齢者歯科に検診を兼ねて遊びに来てくれたことがありました。初めてみる伯父の口腔内はきれいに全ての歯が残っていました。大学の授業で8020運動の事を勉強していましたのでその事を話し「このままの状態をいつまでも維持できるよう毎日お手入れしてくださいね」と伝えました。
それから約十年の月日が経ち「市から8020の表彰状をもらった」と嬉しそうに報告の電話をくれたのです。あの日、家路についた伯父は家族に「彩歌さんに歯を褒められた。歯の写真(口腔内写真)まで撮ってもらった。頑張って80才まで自分の歯を残す」と話していたそうです。私より先に開業をした兄のクリニックに三カ月毎に千葉の自宅から片道一時間半もかけてメンテナンスに通っていました。
ところが、いつの日からかその間隔が少しずつ開いてきたのです。体調が思わしくなく通院が少し辛くなってきたとのことでした。その後、病に倒れました。葬儀の時に家族から「歯の調子が悪くなっていないか家の近所の歯医者で診てもらったら、上の前歯を四本抜かれてしまって入れ歯になってしまった。本人は「何でもなかった歯を抜かれた」と怒り、相当ショックを受けていた。どうも通院が困難になるだろうと予測して抜いたらしいが本人は納得していなかった。その後、調整にも行かず「こんなものは使えない」と言ってはめる事はなかった」と言って見せてくれたものは、笑った時にはかなり目立つであろうクラスプのついた保険の義歯でした。病気で痩せてしまった伯父の顔は前歯がないと事で余計に別人のように見え、家族の意向で使われることがなかった義歯を入れ旅立ちました。
伯父は末期癌で亡くなりました。その時の全身状態、口腔内状態を見ていないので何とも言えませんが、もし、今の私が持てる入れ歯治療の技術を伯父のために注ぎ込むことができたら、口から食べ物が摂取できなくなるまでその義歯を使い、時間の許す限り多くの人と笑顔で語り、「入れ歯になってしまったのは残念だけど、この入れ歯にして良かったよ」と言ってくれたのではないかと思います。
私が患者さんに対して「自分の身内のように」と思うのは大げさでも何でもなく、あの時伯父にしてあげれらなかったことを、精一杯患者さんにしてあげたいと思っています。入れ歯一つで、人生は変わります。歯が原因で人生の楽しみが減じられてしまうようなことがないように、あなたの人生がずっと充実したものであるように、私ができること、持てるものをすべて注いでいきたいと思っています。